東北ボランティア
「被災地を目の当たりにして・・・・・」
震災発生後約4ヶ月の7月中旬に、宮城仙南地区に入った。宮城仙南地区は、海岸線より3~4kmの所を常磐自動車道(仙台東部道路)が南北に走り、その東側(海岸側)部分は津波により、寺や墓までがなぎ倒され、ほとんど壊滅状態であった。まさに街はゴーストタウンと化し、日常の生活が、肉親や友人知人が、家や財産が、一瞬の間に失われてしまった大勢の人達の事を思うと、言葉がなかった。そして、あたりまえとして過ごしている日常生活が、いかに貴いものなのかを、我々は「生かされている」のだという実感を、感ぜずにはいられなかった。
ボランティア活動の現地は、海岸より5~6kmのところだったが、ちょうど長靴の高さほどに海水(津波)が流れ込んで、その地域の全ての田畑を飲み込んだとの事であった。その海水は、田畑の表面に沈殿し、厚さ5~6cmのヘドロと化し、それを、全て取り除くだけでも、膨大な労力と時間を要すると思われる。特に田圃は塩分を抜くすべがなく、いまだ、瓦礫もそのままの、全くの手付かず状態であった。また再び、東北のどこまでも続く青々とした美しい水田が蘇える事は、想像だに出来なかった。
左より、亘理町、山元町中浜小
名取市ユリアゲ地区
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